2011年08月11日
岩手県に行って来ました。

8月8日から11日までの4日間、岩手県に災害ボランティアに行ってきました。
3月11日の震災から、今日でちょうど5ヶ月。
ずっとボランティアに行きたいと思いつつも、1人では行くこともできず、義援金を送るぐらいしか私にできる事はないのかと思っていましたが、今回ボランティアのバスパックがあると聞き、参加させてもらいました。
8月の炎天下の中、普段から運動不足の私が行っても足手まといにならないか、私なんかが役に立つのか、熱中症を起こして迷惑を掛けないか、いろんな不安はありましたが、なかなかこんな機会はないので、思い切って参加しました。
番頭の住んでる村の社会福祉協議会の主催で、岩手県まで片道なんと12時間!
8日(月)と11日(木)は移動のみで、実際に作業ができたのは9日・10日の2日間だけでしたが、体力的には2日が限界だったのでちょうど良かったです。
お世話になったホテルは釜石市にあり、ホテルの本館は津波で被災してしまった為、普段は使っていなかったという別館をボランティアのために開けてくれているそうでした。
釜石市をバスで進んで行くと、突然目の前に瓦礫の山が見え、大変ショックを受けました。
テレビで見る映像より、やはりリアルで見る被災地は本当に悲惨な状況で、復興と言える段階にはまだ到底達しない、まだここは3月のまま時間が止まっていると感じる所もあれば、道路や橋や信号機は作り直してあり、津波でぐしゃぐしゃに潰れた大量の車を整然と並べてあったり、瓦礫の撤去が済んだ住宅街が更地になってたり、仮設のローソンが営業してたり、復興に向かって進んでいる所もありました。
作業1日目は大槌町の紅岸寺というお寺のお墓で、泥を撤去しました。
この日は静岡県、愛知県、岐阜県、長野県塩尻市などのボランティア団体も一緒で、合同の作業でした。
お寺の本尊は津波に遭い、さらにその後火災で全焼してしまったそうで、私達が行った時はもう解体撤去され更地になってしまっていて、お墓も津波で流され土砂やがれきに埋もれ、墓石が壊れてしまったり火災で焼け焦げて赤く変色していたり、お墓のすぐ後ろの山に生い茂っている杉の木は丸焦げになっていたり、潮のせいで枯れてしまっていたり、、、
無惨な光景に言葉を失いました。
炎天下の猛烈な暑さの中、長袖、帽子にマスクでの作業。
汗が全身から吹き出して、熱中症にならないようにと梅干しを食べたり水を大量に摂取しまくりです。
お墓に溜まった土砂や瓦礫の撤去作業が、また驚くほど難航し、スコップで土を掘り出したくても、カチカチに固まって『ツルハシ』がないと土がほぐれません。
貸していただいた道具の中に『ツルハシ』があった時には???って思いましたが、作業を始めてみるとツルハシが一番役に立ちます。
土に混ざって、墓石の破片も出てきますが、瓦、ガラス、トタン板、鍋、バイク、コンロ、剣道の面、服、マーマレードの瓶、針金、レコード、、、
生活用品から何から何まで、本当に驚くものが出て来ます。
また悲しい事にお骨も出てきました。
泥を土嚢袋に詰めたり、一輪車に泥を乗せて運んだりしましたが、あまりにも泥と瓦礫が固すぎて、仕事が全然捗らないんです。
大の大人が汗だくで力いっぱい掘っても掘っても終わりが見えず、正直もどかしい気持ちのまま1日目を終えました。
被災地での作業とはいえ、まさか一生の間にお墓を掘り起こすような仕事をするとこは、まずありえないと思いますが、お盆の前にほんの少しでもお墓をきれいにするお手伝いができたのかな?と自分の中で消化していこうと思います。
2日目は山田町で仮設住宅へ荷物を搬入する仕事でした。
入居前の仮設住宅へ、布団、食器、物干し竿、扇風機、掃除機、テーブル、日用品など、各部屋の入居予定の家族の人数分を運び込みます。
この日も、炎天下での仕事です。
力仕事で、かつ歩いたり走ったりの運動量が大変多く、午前中だけで1日分のお水を飲み干してしまうほど暑さです。
ただ、昨日の仕事と違い、数量的に成果が見れることや、被災者の生活に直結している仕事だったため、達成感はありました。
また、大型トラックから荷物を降ろす作業など、バケツリレーの要領で荷物を運んだところ、あっという間に荷物降ろしが終わってしまい、素晴らしい団結力が発揮されました。
バケツリレーなんて、普段なかなか体験できることではないですし、チームワークの大切さを改めて感じられる機会となり、普段からも同じような気持ちで職場や家族とのコミュニケーションが取れたら良いなと思いました。
2日間終わってみて感じたことは、被災地はまだボランティアの手が必要です。
自力で歩き出せている場所ももちろんありますが、津波の被害があまりにも広大で悲惨な状況なため、手が付けられなかったり、追いつかなかったり、とにかくこの震災はまだ終わっていないんです。
特に、帰りのバスの中から見た大船渡市と陸前高田市の被害は甚大でした。
テレビで見た3月のころの映像が、まだそのまま残っている感じで、重機が入って作業をしていましたが、東京ドームを蟻1匹で片づけるぐらいのイメージです。
また、津波の被害は海から何キロ(おそらく10キロ以上)も離れた陸地まで達していて、田んぼか畑だった所は干ばつのようにひび割れて草が生え、無残な姿になっていました。
ボランティアは3月や4月に比べたら少なくなってきているそうです。一部のボランティアセンターが閉鎖になったと聞きました。
今回は、たまたま夏休みということもあり、高校生や中学生の団体もボランティアに参加していましたが、この先もまだ当分はボランティアの協力なしでは復興は難しいと思います。
被災地もボランティアを受け入れる体制が整っていて、大変働きやすい環境になっています。
私自信も、今回行ってみて『私にも出来るんだ』ということを強く感じました。
行く前は、足手まといになるんじゃないかとか、役に立たないんじゃないかとか、いろんな不安要素がありましたが、そんなことは全くなく、健康な人なら誰でもできる仕事です。
決して楽な仕事ではありませんが、一人でも多くの人がお手伝いをすることで、元の美しい東北に1日でも早く戻れると思います。
岩手も宮城も福島も、山が多く森が深くて、なんとも神秘的な本当に美しいところです。
お世話になったホテルの窓からみた景色も、本当に美しかったです。
また、一緒に参加したボランティアの皆さんが良い人達ばかりで感謝してます。
大変貴重な経験をさせてもらいました。
Posted by 番頭しばはし at 23:25│Comments(0)
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